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2017/01/13

2017年のジャイアンツ

2016年、高橋由伸新監督の元、2年ぶりの優勝を目指すべく始まった読売ジャイアンツのペナントレース。

しかし結果は優勝した広島東洋カープから17.5ゲーム差離された2位、そしてクライマックスシリーズでは横浜DeNAベイスターズに敗戦してシーズンを終えました。

そんな中、昨年のシーズンオフは2017年のペナントレース奪還を目標に掲げて大型補強を敢行、そしてFA宣言をしていた、陽岱鋼、山口俊、森福允彦と言った3選手を獲得して来年への準備を着々と進めています。

今年獲得した3選手について、考察してみたいと思います。

陽岱鋼(ようだいかん 北海道日本ハムファイターズからFA移籍)

台湾出身の陽岱鋼選手は野球留学の為高校は、福岡県にある福岡第一高校に入学、そして2005年の高校生ドラフトで北海道日本ハムファイターズからドラフト1位指名を受け入団しました。

なお本来台湾出身である陽岱鋼選手ですが、日本の高校に3年間通っていたことからNPBの規定により、日本人選手扱いとなっています。

ファイターズ入団当初は内野手だったものの、2009年頃から首脳陣の意向により外野手にコンバートされます。

その事が転機となり翌2010年からは外野手として一軍に定着、更に翌年には外野手のレギュラーに定着すると、昨年までファイターズ不動のセンターとして活躍、2012年と昨年のリーグ優勝、そして昨年の日本一に大きく貢献しました。

走攻守の三拍子揃った陽選手、2013年には18本塁打、翌14年には25本塁打を記録するなど、主に上位打線を打ちながら、その長打力が魅力の一つとなっています。

またレギュラーに定着した2011年から昨年まで毎年2桁盗塁を記録、2013年には47盗塁を記録して盗塁王のタイトルを獲得しています。

また守備は俊足と強肩を生かし、プロ屈指の守備力と言われ、過去4回のゴールデングラブ賞を受賞しています。

しかしながら打撃については好不調の波が激しく、規定打席に到達したシーズンでは3割打った事がなく、また三振数も毎年100三振以上を記録するなどやや確実性に欠けるところがあり、上位打線で起用されると予想される陽選手の確実性に欠けた打撃は来シーズンの懸念材料となる恐れもあります。

また盗塁についても昨年は盗塁成功が5回だったのに対して失敗が6回とシーズン初めて失敗の方が上回る結果となり、守備力同様衰えの声が囁かれている事も心配材料となります。

山口俊(やまぐちしゅん 横浜DeNAベイスターズからFA移籍)

元幕内力士を父に持つ山口投手ですが、福岡の柳川高校時代から速球派投手として注目を集め、2005年の高校生ドラフトで横浜ベイスターズからドラフト1位指名を受けて入団します。

山口投手は入団後から新人にも関わらず一軍でのチャンスを与えられ、入団4年目の2009年からは中継ぎ投手として一軍に定着、翌2010年からは抑えを任される様になり、2012年には25歳と35日で通算100セーブを達成、これは現在も日本球界に於ける最年少での100セーブ達成となっています。

しかし、2013年からは抑えの失敗が目立つようになり、翌4年には先発投手へ転向、するとその後は勝ち星を重ね、最終的には8勝を記録して見事復活を果たします。

翌15年は不調だったものの昨年は故障で出遅れたにも関わらずチーム最多となる11勝を挙げ、チームのAクラス入りに大きく貢献しました。

山口投手の持ち味といえば何といっても150キロを越えるストレートと落札のあるフォークボールが挙げられます。

先発投手に転向してからはスライダーやシュートと言った横に曲がる変化球も投球に取り入れ、技巧派としての一面も見せる様になってきました。

また投手分業制が確立されている近年のプロ野球の投手に於いて、完投の期待が持てる投手の一人でもあり、昨年は5つの完投を記録しています。

その5つの完投のうち完封を3つ記録している事から、好調時の山口投手はまさに手がつけられない程の投球を披露する反面、若手の頃から現在もそうなのですが、不調時に打ち込まれる事が多く、先発の一角としての起用が確実視されているジャイアンツでは年間通してローテーション投手として機能するのかが一つの不安材料となります。

また通算与死球数は30ありながらも危険球が原因の退場はプロ最多となる3回記録している事から、打者のインコースに対する制球の改善が求められると思います。

森福允彦(もりふく まさひこ 福岡ソフトバンクホークスからFA移籍)

愛知県の豊川高校時代は、甲子園出場はならなかったものの、県内でも屈指の好投手として注目を集め、その後、社会人野球のシダックスに入社。

そこでも主力投手として活躍しましたがそのシダックス野球部の廃部に伴い、2006年の大学、社会人ドラフトにて福岡ソフトバンクホークスから4位指名を経て入団しました。

入団後は1年目から一軍での出場機会は与えられていたものの、本格的に一軍に定着したのは入団4年目の2010年からです。

その後は中継ぎのエースとして活躍、2011年、14、15年と3度の優勝、そして3度の日本一にも大きく貢献、長くホークスのブルペンを支える重要な役割を果たしました。

森福投手が左のサイドハンドから繰り出すインコースのストレートは相手打者に驚異を与え、また更にスライダー、シュートを駆使した投球術でリーグ屈指の中継ぎとして君臨、チームに取っても非常に頼もしい投手の一人として信頼もされていました。

しかし、2015年に不振に陥ると昨年こそ持ち直したものの、かつて1イニングを任されていた森福投手は打者1人のみの起用、いわゆるワンポイントでの起用が増えているため、中継ぎの中心として年間通して回って行けるか、また一軍定着後に毎年50試合から60試合に登板している事から、それによる勤続疲労も心配の一つとなっています。

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