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2016/01/18

鎧

手も足も出なかった武田信玄とは土下座外交を続けていた信長。おかげで友好関係を続けてきた。

延暦寺を焼き討ちしたことにより、信玄から「天魔の変化」と非難された。

信長は当時の日本人口の1%ほどを殺した。

延暦寺焼き討ちにより第六天魔王と仏徒から呼称された。

しかしその後、手紙などで自らその名を使用しており、案外気に入ったのではないかという確信犯ぶりをみせている。

信長を討つべく、信玄の出陣と共に二条城で兵をあげた将軍足利義照だが、信玄が途中で病死したことにより劣勢となり、信長に逆に二条城で包囲され、降服した。

これにより240年におよぶ室町幕府は幕を下ろした。

信玄と徳川は数度戦になっているが、徳川はぼろ負け。信玄の体調に問題がなければ、後の徳川幕府も存在していなかった可能性は高い。

その後、病で他界したため、信玄と信長は直接対決することは結局一度もなかった。

信長は信玄を常日頃から強大な敵として心底恐れ、戦になることは全て回避してきた。

信長は長身で、声は500m先からでも聞こえるほど甲高い声だった。

障害があり普通の生活を送れない男を度々目撃していた信長は、哀れに思ったという。

周りの村人を集めて、小屋を建てて、米を毎年その男に与えるように頼んだというエピソードがある。

秀吉の浮気に怒ったねねに対して、信長はねねの味方をして、焼きもちを焼かないようにといった内容の手紙を書いたらしい。

信長は楽しいことも大好きだったようで、相撲の大会を開いたり、安土城をライトアップさせて城下町の人々を楽しませたりと信長自らが主宰・参加し庶民と分け隔てなく戯れていた。

信長は献上品として、黒人奴隷を手に入れる。当時肌が黒い人間が存在するはずがないと身体を洗わせたエピソードもある。

信長はこの黒人をえらく気に入り、奴隷ではなく家臣として迎えた。

黒人は弥助(やすけ)という名前をあたえられる。身長は180以上あったという。少し日本語もわかったらしい。
力持ちで日本人の男の10人分より優れていると信長大絶賛であった。

弥助は本能寺の変でも信長に忠誠を誓って明智軍と戦っている。信長が自害した後も二条城へ向かい信忠へ加勢している。

結局信忠も自害したため、光秀に捕えられるが、人間でないと思われたのか、元いた南蛮寺へ送ったといわれる。その後の弥助の行方はわかっていない。

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